哲学のすすめ

哲学のすすめ (講談社現代新書)

哲学のすすめ (講談社現代新書)


どこかでこの著者の「正しく考えるために」がお勧めされていて読んでみたいなーと思っていたのですが、なかなか書店で見かけないので、かわりにこれを読んでみました。
常々、哲学をやってる人って何が面白くてやってるんだろう?と思っていたのですが、この本を読んで少しだけ哲学の面白さがわかった気がします。

簡単にまとめてみました。


哲学とは

簡潔に言ってしまうと著者は哲学を「人生観」と位置づけています。
人間は基本的に自分に行動に関しては自由である。でも、自由であるが故に何かしらの行動の指針がないと選択ができない。
その指針となるのが哲学である、というのが著者の考えです。

現在、人々が自然と従っている行動指針(≒常識)は過去の哲学者たちによって積み上げられたものであり、次代の常識は現代の哲学者が作り上げていく。


哲学と科学の関係

科学と哲学は明確に役割が違う。
- 哲学:「いかにあるべきか?」という価値判断について答えるもの
- 科学:「いかにあるか?」という事実について答えるもの
科学は事実に関してのみ考えるという割り切りをした事で成功したが、その一方で科学は人に指針を与える事はない。人に指針を与えるのはあくまで哲学の仕事。

われわれはどういう行為をする場合にも、十分に科学的知識を持っていなければなりません。しかし問題は、科学的知識はひとたび目的が決まった後で、それではその目的を達成するにはどうすればよいかという手段についてのみ、その意義を有するということです。科学的知識自身は目的をきめることができません。目的は科学以外のものによってきめられる外ありません。そしてこれが科学とは異なった、人生観であり、哲学であるのです。

p.53

哲学や科学が上記のような本来の領分を超えようとすると、哲学と科学は対立し始める。


どういった哲学を指向するべきか

著者は思想史の流れが

わたくしは、この方向を、人間が次第に人間自身というものを自覚してくるというところに見いだすことができるのではないか、と考えるのです。

p.173

と述べている。

近世以前においては、人間以上の絶対的なもの(=神、自然など)を考え、それを価値基準としていた。
こうした世界観は形而上学的世界観と呼ばれる。

ところが近世に自然科学が確立した。
自然科学は、人間が形而上学的な自分の経験を超えるようなものは認識し得ないとして、認識する事のできる事実のみを扱うという、ある種の人間の認識に対する諦め(=人間の有限性の認識)によって確立されたと言ってよい。
この自然科学の確立によって形而上学的世界観は崩れ、人間は絶対的なものによる価値基準を失ってしまった。

よって近世以降、人間は人間自身をもとに価値の基準を考えなければならなくなった。
その際、ひとりひとりの人間のもっている生命という絶対的なものを価値の基準に見いだす事ができるのではないだろうか。
この生命の絶対性の上に哲学を作り上げる必要があるのではないだろうか。


感想

最後の方の著者が考える今後の哲学の方向性についてはちょっとよく理解できていないのですが、「哲学とは何か」や「科学の位置づけ」に関しての考えは把握できた気がします。
特に、哲学は目的を決めるものであり科学はそれを実現するための手段である、という考えは非常にすっきりと頭の中を整理してくれた気がします。
本書では他にも、哲学が個人生活、社会、科学に与える影響についても述べており、このあたりも面白いです。

文章自体も非常に読みやすかったので、「正しく考えるために」も買って読んでみようと思います。


関連

正しく考えるために (講談社現代新書)

小飼弾の「仕組み」進化論

"本当の"20%ルールとは、既存の仕組みを回す仕事を勤務時間の20%で終わらせ、80%を
新しい仕組み作りに当てるというものです。
p.22

プログラマーの三大美徳は、怠慢、短気、傲慢
「怠慢」になって、繰り返しのある作業を仕組み化する
「短気」になって、今後起こりそうなことを先に仕組みに取り入れる
「傲慢」なプライドを持って、自分の仕組みをメンテナンスし続ける<20%ルールの使い方>
三大美徳を心がけて、従来の仕事を20%の枠に収める
p.80

あと1ピースがあれば実現できるというところまで、物事を具体化しておき、
必要なピースが出てきたら、すかさず拾いにいく。
p.196

小飼弾の 「仕組み」進化論

継続祭り

昨日、東大@秋葉原で行われた、継続祭りに参加してきました。


久々に酒井くんに会ったり、大学院の時の指導教官の先生に久々にお会いしたりと、なんか懐かしい感じ。
大学の先生のMacBook Airの所有率が高かったなぁ。
あれ見たら、欲しくなっちゃうよう。


発表内容は、higeponさん酒井くんが書いてくださってます。


自分も、ちょこちょこ思った所だけメモしてみます。

継続を使った printf の型付け by 浅井健一さん


初めに、部分継続の解説をしてくださっていた。
しかも、例を交えてとても解りやすかった!
なんだか、浅井先生の研究室はとても良さそうだなぁ、と発表を聞いていてなんとなく思った。

入れ子になった web トランザクションのための永続的限定継続のデモ by Oleg Kiselyovさん


部分継続を普通のOcaml上で実現して、その上に継続ベースのwebアプリケーションを作ってみました、と言うお話。
普通のOcaml上で、部分継続を実装したってのは初めてらしい。

この辺りがその話かな??
"Native delimited continuations in (byte-code) OCaml"


一番この話を楽しみにしていたのだが、ちょっと話すのが早くてよくわかんなかった。。
プレゼン資料に実装も書いてあったんだけど、ぱっと見でlet文を沢山使ってるなぁ、と言うことしかわからず。。

Kahua における継続のさまざまな使い方 by 伊東勝利さん


これまでのKahuaでは、ページ全体の継続をとってしまっていたので、ページの一部だけを
更新するとかが出来なかった。
それをページの一部だけを更新するようにしましょう、というお話。
面白そうだったので、Kahuaのその辺りをよく見てみたい。

gcc 4.x を使った「継続オンリーな言語」 by 河野真治さん


相変わらず河野先生のお話は、面白かった!
河野先生の独特の話し方とユーモアがとても好きです。
去年参加したワークショップで、琉球舞踊を踊っていらっしゃったのも、懐かしいです。


内容としては、関数呼び出しを全部無くして、継続(goto?)だけで呼び出しを置き換えましょうというお話(だと思う)。
このCbCという言語は、人間が触る物ではないと強調されていたのが、印象的。

Ruby における Continuation by ささださん


東大の秋葉原キャンパスはとても綺麗で快適そうでした(^^)
特にトイレが綺麗!


Rubyのcontinuationは、1.8までのユーザーレベルスレッドをちょっといじれば実装出来そうだったから
実装しただけ。
実用的なプログラムでは使うことはないのに、継続周りのバグはかなり多いから、もうRubyから継続は
無くしたい!!
というお話。
田中哲さんも一言、「Ruby Continuation should be removed!」とおっしゃっていたので、大変なんだろうなぁ。。



と、まあ、こんな感じでした。
愉しかったので、こういうイベントがあったらまた参加したいなぁ

チュニジア良いとこ、一度はおいで

だいぶ前にチュニジアから帰ってきてました。

結構突然チュニジアに行く事に決めて、ほとんど下調べもせずに行ってみたら、アフリカというイメージとは全然異なる国でした。
地中海に面している所はなんかちょっとしたヨーロッパの避暑地っぽい所。内陸に行くと砂漠が広がっているみたい。

どうせ英語も通じるだろうと思って行ったら、あまり通じなかったりしたけど、とても旅行がしやすい国でした。
全くと言っていいほど危ないめにはあわなかったし。


チュニジアスターウォーズの撮影現場として有名(?)だそうですが、僕は行ってから知りました。砂漠をバギーみたいなのでぶんぶん走るツアーみたいなのに参加してそのロケ地に行った時の写真がこれ。多分エピソード1のだと思う。よーく見ると人が倒れているんですが、これはここの管理人さんみたいな人らしい。暑いから寝てるんだって。この仕事ハード過ぎ。

後はどこの国に行っても感じるけどちっちゃい子がかわいくてかわいくて。

面積的に結構小さな国だけど地中海に面している所はまさにリゾート地って感じなんだけど内陸の方に行くと砂漠が広がっていたりして結構色々楽しめる国だと思います。これが海側の風景。

ほんとにずっとのんびりしてていい旅でした。
のんびり旅行したいならチュニジアはすごくおすすめできますね。